無法島が小さくなっていく。私は黙ってその場から離れた。 「おい、レベッカ。具合悪いのか?」 アレックスが私の腕を強く掴んだ。彼女は眉間にしわを寄せ、困った顔をしている。その表情は嫌いじゃない。 私は無表情のまま、視線をそらした。 「風に当たってくる。船酔いしたみたい」 「はぁ? 今、出航したんだぞ? もう船酔い? まぁ…………あたしは休憩所で寝てくるからな」 「うん……ゆっくりしてきて」 一人甲板に残って、真っ暗な海を眺めていた。いろいろ楽しかったわ、とても。マリアたちのショーもそれはそれは素晴らしかった。ドキドキして興奮するような歌とダンス。 だけど聞いてはいけないこともマリアから聞いてしまった……何か面白かもしれない。 まぁ、その件はカルバーンに着いてから考えよう。 今はもっと大事なことがあるの。これからのアレックスと私のことよ。 ***** 無法島が見えなくなり、しばらく経った。真っ暗な海の上。なにも音がしないより、少し荒れた波の音が私にはちょうどいい。心のざわざわも聞こえなくなりそうで。 船に揺られながら、私はアレックスに聞かなくちゃいけない。 アレックスが暫くして甲板に上がってきた。 「レベッカ……お前、まだ顔色が悪いな。大丈夫か?」 「あぁ、うん。大丈夫よ」 そう言われて、確かに体調は優れないのだろうと思った。でも頭はすごくクリアだった。 「アレックス、大事な話があるの」 聞くなら今しかない。時間が経ったら、アパートに戻ったら、うやむやになって全て曖昧でわからなくなってしまう。アレックスは黙って私の目の前に立った。 「ねえ、アレックスは疲れてないの?」 「あぁ……疲れてるよ。ちょっと寝たけどな。最悪だな。ほとんどただ働きじゃないか。しかもおかしなことばっか」 「そうね……足は平気?」 「あぁ、まあな。もう治った」 「ありがとうね、アレックス。悪い観光客二人から守ってくれて」 「ああ……」 アレックスは返事をした後、はっとして、無言になった。アレックスの失態なんて本当に珍しい。よほど疲れが溜まってるのね。 私はふっと笑った。アレックスは片目をつぶって顔をしかめた。分が悪いと足をガタガタさせたり、片目をつぶるわよね。 私が優位に立つのはこのときが
次の日、グエンのお葬式は厳かというよりは、お祭りのように盛大に広場で行われた。 人々は、グエンが落下した場所に(違う場所でとっくに死んでいるのに)花を一輪ずつ置いて、手を合わせた。 今まで忘れ去られていて、誰も鳴らさなかった鐘楼の鐘を、黙祷するようにみんなが鳴らしていった。 私も落ち着いた頃に、一人で鐘楼に登って鐘を鳴らした。鐘楼から見下ろす街並みや、夕陽はとても美しかった。 ずっと見ていたかったけど、後ろから観光客が何人か上ってきていたから、私は長居はせずにすぐ降りた。 よくわからない相手に同情し、人々は悲しみを分かち合い、なんだか感動すらしている。悲劇の舞台を観劇した後のようにー 知らない方がいいことってたくさんあるんだわ……。 結局この日も、無法島に私たちは泊まることにした。アレックスは、ヌーンブリッジのある組織の悪事をいろいろ知っていて、それを料理長やマリアに詳しく教えていた。きっと無法島にとって役に立つのね。 私は厨房でパンを作る手伝いをしたり、美味しく作るコツを教えたりもした。そのとき無法島の噂話もいろいろ聞こえてしまった。 ノーマン・ダークが本当はこの世にいないことなど。数年前に病気になってもう亡くなっていたの。それを知られたら周辺の街がどうするかわかっているのね。 無法島はノーマン・ダークに守られているのよ。それを街の人達もよくわかっているの。 ノーマンを演じていたのは、大衆食堂で暴れた人だった。彼は本当は無法島の人間だったの。これには驚いたわ。 ***** 「最終便、出港します!」 船長が呼びかけ、汽笛が鳴った。 アレックスが叫ぶ。 「ちゃんと給料、本島に持ってこい! カラバーンのメープル通りだぞ!」 「はいはい、まぁ、気が向いたらなぁ」 ウインクするグエン。 「ふざけるなテメェ! どれだけ働いたと思ってんだよ。グエンの金の亡者! くたばれよ」 港に残ったグエンや街の人々は、満面の笑みで手を振っている。マリアや料理長は忙しくて来れなかったのは少し寂しかった。 「アレックスー! また来いよー」 「二度と来るか、お前はアラバマの二番弟子だ! あたしには一生、敵わないんだぞ!」 アレックスは大声で叫んでいる。私は精一杯の笑顔で、みんなを眺めた。
「離してください」 できるだけ低い声でゆっくりと言った。 「黙っててやるからさ、こっちに来いよ。明日になったら一緒にヌーンブリッジに帰ろうや」 「ふーん。よく見ると、可愛いなぁ。俺たちの部屋に来なよ」 かなりまずいわ。 「結構です!」 後ろからも小さめの男に腕を掴まれる。 「いい土産ができそうだぜ。最近パッとしないからな」 「やめてよ。人を呼ぶわ」 「誰が来るってぇ?」 「無法島には保安部隊はいないぜぇ……」 「ノーマンの部下は今夜はいねぇぞ。外出禁止って広場でお達しが出ただろ? 人が死んでんのに……規律を守らないと、こーなるんだよぉ」 なに自分たちに都合がいいこと言ってんのよっ……ギラギラした目が間近に迫ってきて、顔を掴まれる。 やめて……。 そのとき、ガラスが割れる音が響き、目の前に大きな獣が現れた。 真っ赤な光る目ー あのときの獣! これ以上ないピンチの上に、獣に食い殺されるなんて運が悪すぎる。私ってそんなに悪いことした? そりゃ、外に出た私がいけないんだけども! 「なっ……野犬か?」 「違う……こいつ、狼だ」 男二人が私を盾にする。卑劣極まりないんだけど! ……て言うか、これ狼? こんなに大きいの? 「ちょっ、……卑怯者!」 「お前が食われろ!」 「男のくせに、女を盾にするの?」 私も負けじと言い返す。こんな所で死にたくない! 「離して……バラバラに逃げましょう!」 提案したが、二人とも離してくれない。 「う、うるせえ!」 唸り声を上げ、狼は大きな口を開けて私たちに飛びかかる。 ひええええぇ! 狼はなぜか私を飛び越え、大柄の男の腕に噛みついた。男は叫んで、足で狼を蹴り飛ばす。 狼は一旦離れ距離を取ると、唸りながら私たちを赤い目で睨んでくる。 ああ……今まで生きてきて、今が一番ピンチだってば!アレックスのことが頭をよぎる。 もう会えないかもしれない……。 狼はもう一人の小柄な男の足に噛みついた。男は足を振り解こうとするけど、狼は離れない。 「い、痛えー! た、た助けてくれ!」 「くそっ!」 大柄の男が怖がりながらも、また狼に蹴りを入れた。 狼が足を離した瞬間、男二人はなにか叫びながら逃げて行った。
ゆっくりとお湯に浸かりながら今日一日のことを思い返した。このまま寝ちゃいそう……。 アレックスは鐘楼から飛んだり、屋根の上では危なっかしく戦う真似をしたり、男の死体も運んでいる。さすがにゆっくりしたいわよね。 私が協力したことと言えば、広場の観客に混ざって、人々を誘導すること。 『キャー、見て! あれを見て!』 と、鐘楼を指差した女……あれは私なの。大人も子供も、広場にいた全員が煙突のような高い鐘楼を見上げたわ。 他にも、なんて野蛮な!獣ー!とか、キャーやめてー、危ない!など、かなり煽ったの。 そうするようにグエンに言われたから。屋根の上での演技は危なっかしくて、アレックスが落ちるんじゃないかと心配で、ハラハラして本心で叫んでいたけどね。 それにつられて皆もどんどん声を出した。あとはもう言わずもがな……どんどん盛り上がっていった。 広場を後にするときは混乱がないように、早く帰りましょーとか、こっちが空いてますよなんて言ったわ。 話し声が聞こえた。 広場で手配書と同じ顔のグエンが落ちてきて(本物のグエンではないけど)近くで見た見物客は寒気がしたそう。しかもノーマンが触ったら落ちた男は涙を流したって。 ノーマンが、男の体から出てきた魂を奪ったように見えたって得意げに話していて、みんな興味津々に聞いていたわ。まるで怪談話みたいね。 多分なんだけど、あの死体は半分凍っていたから、運んでいるときも冷気が漂って寒かったの。それに人間が触れば体温で、男の体に付いていた氷の粒が水蒸気になって涙に見えたのかもしれないわね。 なんて……そんな科学者みたいなことを言っても、広場の人たちは、あの場で死んだと思ってるし、怪奇現象としか思えなかったわよね……。 それにしても女の子の二人旅って、寝るときまで楽しくおしゃべりするもんだと思ってた。 そういやアレックスと夜を明かしたことはない。まぁ、アレックスはベラベラ語り合うなんて嫌だろうけど……。 ローズマリーとだったら? お泊まり会は開催されたのかな? そんなことを考えながら、湯船から出る。 一人で部屋にいても、お酒が飲みたいわけでもなく、窓から夜の通りをぼうっと眺めていた。 ガス灯の横に、高そうな書類鞄が置きっぱなしなのが見えた。誰だろう……忘れ物かしら? 今日は夕方
グエン・エンバーは事実上、死んだ。 広場の大捕物の成功を祝い、関わったメンバーで極秘に飲み会が開かれた。 アレックスと私も後から招待されたの。だって鐘楼のてっぺんから飛んだのは、美しく女装したグエンと、顔を隠して手配書の男のフリをしたアレックスだから。 アレックスとグエンの二人はアラバマの孤児院で育ち、幼い頃からスパルタで体を鍛えさせられた仲らしい。孤児院……というか、あんな曲芸みたいな真似できるなんてサーカスの養成所なのでは? いくら悪人だとしても、人が亡くなったのには変わりない。店を閉めるようノーマンの部下が島中に警告するという、緊急事態になった。 お祭り騒ぎは鎮火し、無法島の忙しさも半減した。 マリアが遅れてやってきて、私の隣に座る。男性が多い中、マリアの自然体の美しさは目を引く。初対面ではくねくねしてたし派手な化粧で、女の敵!なんて思ったのに。化粧を落とすとまるで別人。「二人とも今夜はありがとうね! あっ、あと島についたときは悪かったわね。アレックスにちょっかい出しちゃって」「いえいえ。こちらこそすみません。全く大丈夫です!」 私は深くお辞儀をする。マリアはノーマン・ダークの娘なんだから。嫌われたくないわ。「お仕事だからね、あれも。レベッカ〜、妬いてたわね。ほほほ。あなたってウブなのねぇ〜」「ちょっ、やめて下さいって!」 ローズマリーみたいなこと言わないで。恥ずかしくなるから。「そんなことより体は大丈夫ですか?」 「大丈夫、たくさん寝たから。明日も舞台で踊らないと。そうだ! レベッカ、まだ見てないなら招待するわ」「いいんですか?」 アレックスが私の肩を強く掴み、自分のほうに倒した。その握力にドキッとしてしまう。「そろそろ俺たちは宿に戻る。へとへとだ」「あらあら。もっと話したかったわ。レベッカ明日、またね」 立ち上がるアレックスを、街の人々は寂しがる。でもグエンだけは満面の笑み。「おー、早く帰れよ。よそ者」「グエン! あんたもそうだったでしょ?」 マリアがグエンの頭をひっぱたいた。皆が大笑いする。「あ、俺の本名はグエン・サンチェスだからな。修道院の養子だったんだ。追い出されたけど。二人とも間違えるなよ」 なるほど、エンバーはもともといないのね。 アレックスは私を強引に引っ張って、店の外に出た。なんだか嬉しか
「今夜、観衆の目の前で追いつめられて女を人質にとって、自殺という筋書なんよ。広場のホテルからこいつを投げる」 えええ? 何を言ってるの? この、グエンて人。犯罪の片棒担ぐのなんて嫌ですけど! 「報酬は? あと、こいつがなんで死んだか知っておきたい」 淡々と聞くアレックス。グエンは話し始めた。 「それはそうだね。俺はゲイルの部下。あ、こいつの名前。いや、部下と言うより奴隷かな。命令されて無法島の女の子たちをスカウトしてた。ほら僕、かわいくて甘い顔してるでしょ? みんなうっとりして聞いてくれる」 自分のことはよくわかっているのね。金髪をかきあげるグエン。 「ワケありの……家出したい子とかね、女の子たちを勧誘して倍の給料を出すって条件を出したら簡単に船に乗ってくれた。あと腕の立つ男たちもね」 「どうして……そんなこと」 「ギャンブルの借金が膨らんで……仕方なかった。まあ、それもはめられてたんよなぁ。それで5回目に上陸したとき、俺をマークしていたマリアに見つかってさ」 マリアとグエンは路地で激しい言い合いになった。逃げるグエンを無理に引き止めるマリア。 そのやりとりを島中が見ていた。 ***** 無法島、一週間前。 「グエン、なに見つかってんだ! そいつはノーマンの娘、マリアだ。逃げるぞ。もうこの島に搾取するもんはない。全部奪ったからな」 こそこそ話している二人に近づくマリア。 「あなたが元凶ね。こんな子供みたいなチンピラ雇って、島の子たちを連れ出しているのは」 「そのガキが勝手にやってることだ。俺はやめろって言ってるんだぜ」 手配書の男、ゲイルはニヤついた。 「あなたたちはずっと前から嫌がらせしてるじゃない。全てわかってる」 「私は雇われてるだけです。借金があって」 グエンが口を挟むと、ゲイルはグエンを壁に叩きつける。 「やめなさい!」 マリアは動じない。 「なんだよ、父親の次はこのガキに色目使うのか? 」 「ふざけたこと言わないで。弱い者いじめしか脳がないのね」 それを聞くと男は逆上し、唸り声をあげてマリアに襲いかかる。 同時に銃声が響いた- ***** 地下に料理長が顔を出した 「グエン! 早く広場へ……あ、また会いましたね」 「どうも」 アレ